2015年03月12日

[旅田卓宗の七転び人生塾](3月12日・障害者年金初期診断)

[旅田卓宗の七転び人生塾](3月12日・障害者年金初期診断)


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和歌山市に住む元和歌山市長の旅田卓宗です。
正に人生浮いたり沈んだり。
波瀾万丈の人生を歩んで来ました。
何の力もない私ですが、何でも、ご相談頂ければ幸いです。
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先日来、相談者が66歳で糖尿病と診断され片足切断、

両目失明という気の毒な事態になったが、

更に気の毒に思ったのは障害者年金の支給申請を行ったところが、

糖尿病の初期診断日が60歳まででなければ

支給されないということが分かったことだった。

同じ1級の障害者でありながら、96万円の年金を

受け取ることができる者と、できない者とがあるとは?

信じがたいことだった。その最大の問題点が初期診断日だった。

人間年金もらいたさに器用に病気になる日を

決められるものではない。

市役所だけではなく年金機構や遂には厚生省の年金課まで

何度も問い合わせ、不公平ではないかと抗議をしたが

法律を盾にして首を振るばかりだった。

やむを得ず公明党の浮島議員や民主党の岸本議員に

法律の運用で支給して貰えないか頼んだ。

両議員から誠実にお返事を頂いた。

現在の法律上は支給できないが法律の盲点でもあるので

早急に超党派で是正したいとのことだった。

確かにやむを得ない答えだった。

制度改正を是非して欲しいと御願いした。

しかし何とかならないものだろうか?と悩んでいたところ

ブログのお友達の裏橋さんから親切に

「障害者年金というヒント」という本を届けてくれた。

ネットで調べ急遽取り寄せてくれたという。

「初期診断日とは必ずしも糖尿病ですと診断の確定した日を

指すのものではない。例えば精神疾患の場合でも、

不眠を訴え誘眠剤を処方されただけであっても、

その日が初診日とされた例もある」と記載されていた。

あるいは断糖食で糖尿病を克服したブログのお友達の

清水先生からも自らの体験を基に同様の話を頂いた。

僕は早速相談者に電話を掛けた。

過去に何らかの病気で医者に診断してもらったことはないか?

僕の質問に首を傾げていた相談者は7年ほど前に

鼻の手術を受けたことがあるのを思い出した。

直ぐ取り寄せた診断書を昨日見た。

何と診断書には次のように記載されていた。

「平成20年1月、糖尿病、高血圧、

アレルギー性鼻炎にて加療した」

と記載されていたのである。バッチリだ!

これで年金を支給して貰える。

相談者は見えぬ目に涙を浮かべて大きく頷いた。

何事もとことん調べてみるものだ!

七転び人生塾を開いて良かったとつくづく思った。

ぺペンペンペン

(読者の皆さん、ありがとう) 

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淡々と獄中生活が続いていった。

夏は熱砂地獄のように、冬は北極の果てに打ち捨てられ

凍えるような日々が続いていった。

厳寒の夜には数枚の下着の上に、分厚いトレーナーを着込んだまま、

2枚の毛布にくるまり布団を被っても

ガチガチ震えが止まらない夜もあった。
 
再び夏がやって来た。

熱砂地獄のような猛暑を如何に乗り切るかが最大の関心事であった。

その日1日を如何に耐え得るか!そんな毎日で、

もう公判の事等どうでもいいような、

ヤケッパチな気持ちに何度もなった。
 
楽しみは毎夜、何度も色々な夢を見る事だった。

夢の中では母はもちろんの事、女房や子供達、

多くの友人達と会う事ができた。

夢の中で会う人々はいつも優しかった。

とびっきり楽しい夢を見た事もあった。

女優の藤原紀香が夢に現れキスしてくれた時には感動した。

目が覚めてからも、しばらく余韻に浸る事ができた。

たくさんのお世話になった人々やご迷惑をかけた人々の夢も見た。

それらの1人1人に感謝の祈りを捧げた。

時々友人が差し入れてくれるアンパンを食べながら

「いつまでも僕の事を忘れずに、ありがとう」

と何度、涙を流した事だろうか。

夢の中に、忘れかけた頃ひょっこり顔を出す女房は

すこぶる機嫌が良かった。

(どうやら出所したら浮気のことは勘弁してくれて、

すんなり家へ迎え入れてくれそうだな?)

淡い期待が膨らんだ。

「ネエーッ、女の人、誰も寄って来なくなったの?可哀想ね。

じゃあ私がお相手してあげようか?」

クレオパトラと楊貴妃とが一緒になったような絶世の美女が現れた。

(ワーッ、もう美人はコリゴリだ〜!助けてくれ〜!)

逃げ惑っているところで目が覚めた。

そのような夜も幾たびかあった。

「配食(はいしょく)〜!」

刑務官の鋭い声が響いた。

僕は背筋を伸ばし小さな食器口の前に正座した。

小さな穴から差し入れられる食事を両手を合わせて

有り難く頂く・・・。

(まるで僕は養鶏場の鶏だな?)

そう思うと惨めな我が姿を悲しむより滑稽に思えてならなかった。
 
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Posted by           at 06:35│Comments(0)
 
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